2017年3月5日日曜日

遠江:もう一つの万葉歌〔007〕

遠江:もう一つの万葉歌

前記〔四〕で「遠江」は二つの万葉歌に由来するとしたが、その中で「遠江」の表現そのままを使った柿本人麻呂*の歌を解釈した。その結果は…

・「江」は「大きな川」又は「入江」を示すことから「遠江」=「オ()(大きな入江)」であり、「湖」とは無縁の言葉であること。

・現在の九州遠賀川河口の古名が「岡」であることから「遠江(())」=「遠賀(オンガ)」=「岡(オカ)と比定できることを示した。

遠くにある淡水「湖」という解釈の根拠は微塵も示されなかった。そう解釈されてきたことが不思議なくらいであった。

遠江の引佐細江の「みをつくし」


ところで万葉歌にはもう一つ、作者不明とのことだが「遠江」に関するものがあり、すでに掲示したが再度示すと…

・作者不詳(14-3429)
等保都安布美 伊奈佐保曾江乃 水乎都久思 安礼平多能米弖 安佐麻之物能乎

(遠江[トホトアフミ] 引佐細江[イナサホソエ]のみをつくし 我[]れを頼[タノ]めてあさましものを)

<通訳>遠江(とほつあふみ)の引佐細江(いなさほそえ)の「みをつくし」を頼るように、私に信じさせておきながら、(でも、あなたは)軽い気持ちだったのですね。

「水乎都久思」=「身を尽くし」と意訳されることに拘り過ぎであり、どうにかして(補助的な文言を加えて)辻褄を合わせた訳であろう。一字一字を訳すると以下のようである。

・「等保都安布美」=「等保都・安布美」=「トオツ・アフミ」=「遠つ淡海」
前記したように「遠つ淡海」≠「遠江」である。「遠つ淡海」=「遠くの(遠くに見える)()海」である。

・「伊奈佐保曾江乃」は固有の地名なのか一般的な地形を表しているのか、から考察する。固有地名なら通説のように「引佐細江」と解釈されるが、一に特定できるものではない。現在の比定直前の「遠江」に拠っている。

「伊奈佐」の由来は「稲作」という説がある。また「東南風」という強い風を表す言葉でもある。海のテーマであるなら後者の解釈が適当かと思われる。「保曾江」も同じく「細い(小さな)江」と解釈できる。<追記>

 通訳の「遠江」と「引佐細江」、読みが違うが、「江」が被っているのは尋常ではないと思わる。

・「安礼平多能米弖」から叙情的な解釈を引出して来たのが通説である。「身を尽くし」に拘り意味不明な歌に落とし込んでいると思われる。「安礼」=「彼」であり、話し手から離れた事物・場所を示す代名詞と解釈するのが自然である。決して話し手のことではない。

・「安佐麻之物能乎」はその本来の意味である「良い意味にも悪い意味にも驚きあきれた」であろう。通訳は自分の気持ちに対する裏切りに呆れた、という解釈である。「引佐細江の身を尽し」、引佐細江さんの尽くしたこと、何を語ろうとしているのか全く伝わらない。

全体と通してみると…

「等保都安布美」=「遠くの(遠くに見える)()海」
・「伊奈佐保曾江乃」=「東南風(の吹く)(い小さな)江」
・「水乎都久思」=「みをつくし(澪標)
・「安礼平多能米弖」=「あれを頼りにして」
安佐麻之物能乎」=「(舟を進めるとは)驚くばかり」

…遠くに見える泡の海にある東南風吹き荒ぶ小さな入江、そこにある澪標が波に曝されている。それを頼りに舟を進めるなんてあり得ないこと、驚くばかりだ…

淡海はそれでなくとも波立つ海なのに海からの東南風が吹いた時には凄まじい、そこに浮かぶ小舟・・・そんな光景を見て詠った歌であろう。すんなりと歌い手の気持ちを汲むことが可能である。そこに隠された作者の思いは更なる背景がわからなければ憶測に陥るのみである。

地名の比定に用いられた歌である。通説の解釈は極めて叙情的である。地形比定という叙景的作業を叙情的な歌に求めることは、間違いなく危険である。叙景的解釈に基づいた地名比定がなされない限り全く論理性を有さないものと判断される。

「淡海」といえば鳴門海峡、関門海峡等であろう。海からの東南風が吹く場所は南方が海に開いてることが必須である。通説に比定される場所は全く当て嵌まらないことがわかる。全てを調査したわけではないが、関門海峡にある山口県下関市細江町の入江が詠われた場所と思われる。

「近」と「遠」、二つの事例を調べて見たが、まさに「あさまし」であった。勿論、悪い意味で。世界に誇れる「記紀」「万葉集」が現存することも「あさまし」である。それらがおどろおどろしい世界を反映していることも事実であろう。が、その内容を、伝えんとする意味をしっかりと後世に伝えることが大切であろう。

そうすることによって初めて世界に誇れる「遺産」となるのではなかろうか・・・。



<追記>

2017.09.02
この記事を書いてはや半年、早いもので・・・。ついつい修正し忘れてきてしまった。

伊奈佐」はこの後も多数出現し、その意味を読み解いた。「伊奈佐」には、「たた・なめて」=「楯を並べて」と修飾される。枕詞の一種であるが、「(楯を並べたように)同じような形をしたものが奇麗に並んで」という意味と紐解くことができた。

「伊奈佐保曾江」=「同じような形をした(細い)入江が奇麗に並んでいる」(その入江にある…)と解釈することができる。上記で下関市の細江に目を付けたが、残念ながら細江が奇麗に並んでいたかは定かでない。現在も一筋の川らしいところが見当るだけで、入江が並んでいたとは推測しがたいようである。

その後の解読で、その細江のほぼ南にあたる北九州市門司区小森江辺り(当時はもう少し内陸側に)が「伊那佐之小濱」と呼ばれていたことを突止めた。どうやら詠み人は「淡海」を挟んでではなく「小濱」後方の小高い内陸側に居たのではなかろうか。

「いなさ」は現在も「引佐」(浜松市北区)という地名が残る。地名由来は不明のように思われるが、この地の連なる山の形状が「いなさ」ではなかろうか。三河山地が広がる奇麗な山並みこそ誇りにされては?…如何であろうか・・・。


柿本人麻呂*
「柿本」の由来は何であろうか?…ほぼ間違いなく現在地名「柿下」であろう。「柿」は消すに消せない重要なキーワードなのであろう。


図は別表示で拡大願いたいが、「柿」=「木+市」=「山稜が市」尾根と山稜が作る地形が「市」を模していると見做したのであろう。

柿本(下)=山稜が作る市の字形の麓

現在に繋がる地名由来であるが、果たして納得頂けるであろうか・・・。